東京の中心でとりあえず叫ぶ

世の中に息苦しさを感じている、20代男女の本音をポロリ

「ラ・ラ・ランド」が残酷な映画である3つの理由

こんにちは。アカデミー賞6冠を受賞した、「ラ・ラ・ランド」を先日見てきました。結論から言うと、素晴らしい映画です。★5の中で★4.5でした。特に、ラスト30分の「あーそうきたか」といった展開は目が離せません。ただ、最後の感想は予想に反し、「なんて残酷なの!!」としばらくプチ鬱状態が続きました。

 

途中まではネタばれなしに、途中からはネタばれありで、「ラ・ラ・ランド」が残酷な3つの理由を解説していきたいと思います。

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ラ・ラ・ランド : 場面カット - 映画.com)より

◆理由①「ラ・ラ・ランド」はポジティブな意味ではない

正直、最初は予告を見ながら、「楽しいミュージカル映画」という意味でつけた俗語と思っていました。馬鹿ですね……。でも、きっと私以外にもこんな勘違いをしている人はいるはず!アルクの英治郎でひくと、以下のような意味が出てきます。

 

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La-La Landの意味・用例|英辞郎 on the WEB:アルク

もちろん、舞台が「ハリウッド」ということもあるのですが、「我を忘れた境地」この意味が本作の中では重要になってきます。そして、それは必ずしもポジティブな意味だけではありません。「タラレバ娘」がドラマでも話題になっていますが、本作の中でも「たら~れば~」の世界が「妄想シーン」として何度か出てくるのです。

しかも、それを映像で見せつけてくる。人間、誰しも「あの時、こうしていればな」「もし、あっちの道を選んでいたら」……そんな人生の決断の瞬間がある(あった)と思います。その瞬間を、思い出さずにはいられない作品なのです。

◆理由② 自分が「捨てたもの」「諦めたこと」を突きつけてくる

理由①にも関係しますが、映画の中で「You changed your dream, then grow up」(こんな感じ)というセリフがあります。「あなたは夢を諦め、大人になった」という意味です。子供の頃は「〇〇になりたい」と言っていたにも関わらず、「どうせ自分には無理だ」と諦めてしまった人。

安定的な収入や、愛する人の為に……と理由を付けて、そしてそれは一見正当な理由であったとしても、心からは納得していない。むしろ、思い出さないように「納得したつもり」でいる、開けてはいけないパンドラの箱。あなたにはそんな思い出はありませんか?

一見、楽しそうなミュージカル映画だと思って安心していると、緩み切った心に、メッセージがグサグサと刺さります。「タラレバ娘」よりも、ダイレクトに刺さってきます。(映画はチャンネルを変えることもできないし、CMもないですから……えぇ)

◆理由③ 永遠なんてない。「この世のはかなさ」を実感する

さらに、追い打ちをかけるように、「本気で夢を掴みたいのであれば、二兎を追うことはできない」というメッセージを本作は投げつけてきます。

ワークライフバランス」、「働き方改革」……世の中にはそんな優しい言葉が飛び交っていますが、全てを両立させている人は、本当に一握りでスーパーマンだと思います。多くの人は、やっぱり何かを諦めて、何かを手に入れている。そうでもなければ、やはり「何かを突き詰める」ことは厳しいのではないのでしょうか。「生きること、人生の厳しさ」を本作は問いかけている気がします。

そして、ここからはネタバレする危険性があるので、まだ見ていない人はこの辺でやめておいてください。

 

 

★★★以下、ネタバレの危険性↓★★★

 

仕事を選ぶか、恋愛を選ぶか。これは、男女問わずに永遠のテーマだと思います。「ずっと、一緒にいよう」という言葉は、約束にすぎないし、守られる保証がない。悲しいけれども人は、変わってしまうのです。

青春時代のあわい約束も、お互いに住む環境が違えば、目指すものが違えば、次第に考え方も変わってくる。永遠なんてない。気づけば、お互いの価値観が全然違うところに来ていた、そんなこともある。

◆きっと、今の「選択」の結末は5年しないと見えてこない

本作は、そんな「もし、私・僕が〇〇していたら……」をラストの30分で見せつけてきます。私自身は、結婚を視野に入れて数年間付き合っていた元カレとの最後の別れが、途中からフラッシュバックしてしまい、見終わった後も頭から離れませんでした。

もし、あの時振り返っていたら。「やっぱり、あなたがいい」と駆け寄っていたら。私が仕事を諦めていたら。きっと違った人生が待っていたはず。後悔はしていない、わかっているのに、「もし……」が主人公とパートナーとの回想シーンに見事に重なり、夜の六本木の街を暗い気持ちで徘徊していました。

自分にとっての「譲れないもの」、その価値と代償を考えさせられます。主人公たちにとっても5年間、きっと5年もすれば「今」の選択の「意味」が見いだせるのでしょうか。

見終わった後に、「皆はどんな感想を抱いたのだろう」とTwitterでいろいろなコメントをあさりました。「楽しかった~!」という人も否定的な意見の人も。個人的には、この作品は、見る側の過去の経験や知識によって受け取り方が大きく変わる作品でもあるように感じます。

映画を見るまでは全く気付かなかった視点も、こちらのブログでは見事に紹介されていました。もう一度見たくなります。

私は、「ミッドナイト・イン・パリ」のパロディシーンしか気づきませんでしたが、本作にはほかにも色々な仕掛けがあります。

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http://midnightinparis.jp/

そこを紐解いていく作業は、本当にアートだと思うし、だからこそアカデミー賞を受賞したのだな、と勝手に納得しました。最後に笑った主人公の笑顔が、「今の自分」に心から満足した笑顔であって欲しいです。でないと、本当に救われない。救われない……

是非、多くの人に見てほしいし、色々な人の感想を見てみたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

『夫のちんぽが入らない』という衝撃の実話

おひさしぶりです。

Amazonで事前予約して、やっと全部読み終わったこの本。

◆衝撃の5刷り、「ちんぽ」旋風

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だいぶ衝撃的なタイトル。しかし、意外にタイトル以上に色々な社会問題を含んでる本で、ぐいぐい引き込まれてしまいました。この手のエッセーのような本ではかなり楽しかった。5段階なら、4.5かな。(ちなみにエッセーで1番オススメなのは朝井リョウの『時をかけるゆとり』。マジで笑えます)

 

ネタバレも何もなく、タイトルのまんまなのだけど、著者は、夫以外の人とは性交ができるのに、夫以外とはなぜかできない。

しかし、そのまま結婚し、(事情をしらない)周囲からは「30超えても子供はできるよ!」と励まされたりする。

著者と夫は共に教師で、部活の時間外労働や、非行の子供を警察に深夜にひきとりにいったり、ご飯を作ったりしている。

挙げ句の果てに学級崩壊で担任イジメにあい、精神を2人とも病んでいく。

◆社会問題を描いているのが面白い

自分が元気がないとき、まさに「生命力が下がってる」とかに読むと、引き摺り込まれてしまう本だけれど、普通以上の時に読むと、普段は持たない視点に触れられる良書。

なにより、一文一文がとても素直で、変な飾り気(カッコつけ)がない。そして、ストレートに自分を表現しているなぁ、と。

 

宗教団体にはいっていて、滅多に会えない親子。子供はいても、出会い系サイトに登録して日々女を漁るオジサン。そんな知らない人とでも、「体を重ねる」ことで自分の存在意義を見出す著者。

 

セックスって、究極の自己承認だと思う。もちろん、愛のあるナシはあっても、裸になって、無防備すぎる状態で自分をただ、受け入れてもらう。相手を受け入れる。

たとえば、初めて会った人でも、性善説なような「なにか」がなければできない行為。そして、それによって場合によっては、愛とか、自己承認とか、とにかく物理的に凹凸をガッチャンコする行為で、心の溝も埋める。

◆知らない人とのセックスで埋める溝

もちろん、知らない人との行為はふとした瞬間我に返って、「何しているんだろう」となるとおもうのだけど、とにかく何かで埋めないと壊れてしまう時ってあるのだと思う。初めてあった人ではないにせよ、昔の自分にも「このまんま壊れてしまえばいい」なんて思いながら行為をした、そんなときがあったなぁって10代の自分を振り返った。

 著者は、家族の関係もあまりよくなかったみたいで、親に認められることがなかった。本書の中にも「親が帰ってこないで、食べ物がなく、窃盗という非行に走る子」とかが出てくる。モノは沢山増えて豊かになっても、決して埋まらない心の豊かさ。

 

生々しいタッチで、特に社会問題を語ろうとしているわけではない、けれども結果的に著者をとおして語ってしまっているという点が本書の一番の面白さでした。

世の中に閉塞感を感じている人、他人の心をのぞいてみたい人にオススメです。

 

 

夫のちんぽが入らない

夫のちんぽが入らない

 

 

 

 

 

タラレバ娘から考える!0.3%を探し続けるのはアホくさい。

「逃げ恥」と「タラレバ」から学ぶこと

最近、女友達からこんな記事が送られてきた。

結婚志向のハイスペック女子は「逃げ恥」と「東京タラレバ娘」から何を学ぶべきか? | Girl Power Insight

「結婚志向のハイスペック女子は「逃げ恥」と「東京タラレバ娘」から何を学ぶべきか?」という、なんとも挑戦的なタイトル。

「逃げ恥が解いてくれた呪いを、全力でかけてくる」というものだ。ここで言うのろいとは「女は若い方が価値がある」ということと「女は結婚して幸せになれる」という呪いのことだが、その呪いをこれでもか!という勢いでかけまくるのが「東京タラレバ娘」で、その価値観は古いという指摘だ。しかし、これは実は古い価値観ではない。むしろ、一周回って「新しい」のだ。

という記事。

この記事の中では、結婚するためには戦略が必要。とくに、高学歴高身長高収入というハイスペ男子はとてもレア。であるならば、白馬の王子さまなんて待たないで、戦略的に行動せよ、と。

年収一千万円で高身長のハイスペ男子はたったの0.3%しかいないことになる。この中で独身男性に限定するとさらに数は少なくなる。30代男性の未婚率は約50%なので、つまりハイスペック独身男性は結婚適齢期男性のたった0.15%程度しかいないことになる。これは偏差値的にいえば「80」レベルである。

0.3パーセントの人間を探し続ける

たしかに、私の周りにも「結婚したい〜」といいながら、クラブにいきまくって、ワンナイトを繰り返してる友達Aや、何も行動をしない友達Bがいる。まさに、「現実逃避ちゃん」群。

そして、そういう子に限って、パートナーに求めるスペックは異常に高い。友達のわたしでも、「え、ちょっと冷静になって笑 だったらそのスペックの相手に見合う行動とろうよ!」と突っ込みたくなるほどの高さ。彼女たちは、上に記したような0.3%の相手を探し続けている。

(男が女にいうなら、巨乳で可愛くて、料理がうまい!でも細くて、自分のことだけを想ってくれて、男に頼りきらず、人間的に賢い子!みたいな?)

 

この記事は、途中まで「うん、うん」と読めるのだが、ラストが気に入らない。たしかに、そうした高スペックパートナーをみつけるには「戦略」が必要。でも、結婚したらそこで終わるほど人生は楽ではないはず。

頑張って、猫を被っても、長くは続かない。コンドームに穴をあけたり、酔わせて生でやって妊娠したりして、「結婚」に持ち込んだとしても、その後に幸せがあるわけではない。「結婚がゴール」、その発想自体が古いと思う。

 

でも、一方で平成生まれで、自分は働かず、相手に理想の全てを要求する「平成の奥様」希望群もいる。先に記述した「現実逃避ちゃん」達より、個人的には危険種だとおもう。

自分は働く、という思想はなくて、旦那には30歳くらいで1000万円プレーヤーをもとめる。

これが、意外に多い。「1000万円」という言葉は出さなくとも、話を聞いてるととても達成できない。

 年収1000万も手取りはそんなに多くない

毎年海外旅行、都内の持ち家あるいはタワマン、子供は私立で、自分は奥様会、お料理教室や習い事……

正直、年収1000万円でも手取りにしたらもっと減る。手取りだと700〜800万円くらいだそう。

http://ten-navi.com/hacks/salary-3-5785 

こちらのサイトから、年収1000万円の生活例をひいてみた。

専業主婦の妻と大学生の子1人という3人家族を支えるAさんの例では、手取り年収は約758万円、ボーナスを除いた手取り月収は約47万円。同じく年収1000万円で独身のBさんは手取り年収は約734万円、月収は約46万円です。

外食は月に一回、旦那の給料は4万円(ランチ込)。教育費に8万円となかなか高い金額をかけてるせいか、ほぼ貯蓄は貯まらない。

話を聞いていると、「平成の奥様希望群」は、学歴としては早慶以上の学校の出身者、女子大に多い気がした。

 彼、彼女らの親はバブルを経験した世代。日本経済も右肩上がり。その時の貯蓄や資産が、90年代うまれの平成世代の子供に影響あった部分もあるかもしれない。正直1000万と言わずもっともっと稼いでいた人もいるはず。(そして、子供に沢山教育費をかけた)

でも、これからの日本経済は正直明るくはない。LCCの登場で飛行機が安くなっても、家電が技術の開発で安くなっても、消費税はあがるし、社会保険料の負担も大きい。

少子化で市場が縮小、労働人口も減っていけば、 国力は衰える。移民に対しても消極的だから、なおさら。

だから、親の世代をベースに、彼らの「あたりまえ」を、これからの日本での生活に当てはめても、同じ水準の生活は送れない。それでも、人は自分にとっての「生活水準」を大きく変えることはできないから、彼女たちはずっと白馬の王子さまを探し続けているのだろう。でも、それは儚い夢にすぎない。

ちなみに港区にも世田谷区にも新築で5000万円台のファミリーマンションなんかありません**。5000万円で買える新築ファミリーマンションは八王子くらいまで行かないとないですね。

http://news.livedoor.com/lite/article_detail/12609382/

 冷静に考えたら、共働きで世帯年収増やしたほうがお得

正直、彼女たちの頭にいまだある、「専業主婦への憧れ」という像を消し、共働きができると、税の面でも「憧れの生活」にぐっと近づくく。f:id:udukikaren:20170205090529p:image

http://ten-navi.com/hacks/salary-3-5785 より)

 

安倍さんの掲げる「1億総活躍」=「活躍してくれないと、この国すぐ沈むから助けて」政策で、制度上もどんどん「働いたほうが得」な社会に変わっていくはず。それを忘れて王子さまをまちつづけても、多分そんな人は現れない。あるいは、同世代ではなく、すでに社会の旨味をすって脂ものりきった40〜50代くらいの男性を探してみてもいいかもしれない。中でも、お金はあるけど、仕事に没頭しすぎて離婚されたバツイチや、婚期を逃したひと。

自分の中にある結婚やパートナーへの「あるべき論」という「呪い」から解き放たれてこそ、真に「タラレバ」しない、日常が送れるのだろうなぁ……

 

 

 

呪いではなく、魔法の言葉を。

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このタイトル、SEO的な観点からだと、かなり最悪ですね。笑

魔法の言葉って何だろう

さて、先日「身の回りにある呪い」について書いたところ(そして一日中考えていた)、友達Mから言われた言葉です。

自分もだれかも、言われて言って、ふっと幸せにできる言葉は全部魔法!呪いではなく、魔法の言葉をいつも使っていたいね♡

朝、会社に行く道すがら、このラインの最後にあった「毎日お疲れ様♪」という言葉を見て、不覚にも朝から涙腺が緩みそうになったのでした。

東京って、なんでもあって、すごく便利。特に他人とのコミュニケーションも必要としないし、ある意味自分に没頭できるように最適化されている。

だから、たまに自分が、自分のことばかりに一生懸命になって、汚染されていることにすら、気づかなくなっている瞬間がある。「お疲れ様」「ありがとう」「ごめんね」、当たり前のようなコミュニケーションを忘れそうになる。

 

英語でも、「綴る」を意味するSPELLは呪文、という意味もある。

日本でも「言霊」って昔から言う。自分の名前を言うと、相手に魂をとられる、と思われていたときもあるそう。

 

TEDをみたり、起業家にあったり、本を読んでいて思うのは、やっぱり言葉は人の心を動かす魔法をもっているなぁ、というもの。

思いのこもった言葉は、心をもってかれる。周りに宣言したことは、やり遂げなきゃな、とおもう。不思議なことに。

言葉は思考を左右する 

きのう、ある元外資系起業の日本代表の話を聞く機会があった。

「まずは、飛びでてみなさい!金魚鉢からでちゃうの!外の世界は、ひろい」

一言でいうと、こんなメッセージ。人は、きっと年齢を重ねるごとに、声に出さない言葉でも(内なる言葉)自分を縛るようになるんだろう。

 

「科学者になりたいの」「ノーベル賞をとる!」、自分の昔を思い返しても、ふざけたことを言っていたんだなぁと思う。数学も苦手なのに。でも、それくらい、自分の中には縛りがなかった。

ある外資系コンサルの代表も言っていた。「みんな、できない言い訳を考えるのは得意なんですよ。苦手に目を向けるのも得意。だから、質問をかえるんです。強みに目を向けられるように。自分では、『あたりまえ』『そんなことない』っていうのが、ものすごい強みの場合があるから。企業も、ひとも」

 

だからこそ、自分の頭のなかにできた枠を、「むりかも」「だめだよ」そんな言葉を潰すために、1人、旅に出てみる。色々な人とあう。むりなら、本や動画や映画……新しい風を自分の中に常にふかすことが大切なのかもしれないなーんて思う今日この頃でした。

消えていった言葉、そして世界たち 

 

最後に。

「言葉の数だけ思考の幅が広がる」と前に何かで読んだ。たしかに、人の思考は言葉ありき。有名な話で、虹は七色!ってよくいうけれど、実際は「三色」っていうひとも海外には多い。

古文なんかに出てくる昔の日本人は、特に色を表現するのが得意だったから、「鴇色」「水浅葱」「麹塵」……これでもか!ってくらいに、色があった。こんな感じに。

日本の伝統色 和色大辞典 - Traditional colors of Japanwww.colordic.org

 

でも、いまはそれを使うことはほとんどないし、頭の中にない。知らないから、表現できない。それだけ、世界が狭くなった。言葉の退化は、思考の幅の退化なんだろう。簡単な文章に流れがちな、普段の自分への戒めもこめて。

 

 

 

 

 

私達の周りにはね、沢山の呪いがあるの。

はじめまして。

  今日から、できれば毎日、無理なら3日に一回でもブログを書いていけたら嬉しいです。

  簡単に自己紹介をすると、私は旅行好きの、20代。メディア界隈を転々としています。このブログでは、同世代と話す中で、日々の生活で感じる、人生の疑問について自分の忘備録も含めて書いていけたらなぁ、と思います。

 

   さて、タイトルにもかいた「たくさんの呪い」。人気ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」のなかのセリフの1つでした。

   この「呪い」については、色々な人が色々なところで言及しているけれど、今回は私が最近感じる「呪い」について考えてみたいと思います。

 

 無意識に、人は「言葉の呪い」にかかってる

まずは、「言葉の呪い」。

私は、フェミニストとかではないけれど、ムムッと考えさせられた。

川上未映子さんが、こんな記事を書いていました。

川上未映子 「主人」という言葉が心底嫌い [PR] | 川上未映子のびんづめ日記2 | 日経DUAL

「主人」という言葉にアレルギーがある、と。「主人」というのは従属関係がある。そして、言葉というものは、無意識に使うだけで、自然に自分の中に価値観が刷り込まれてしまう、と。

 

 そう、どんな文脈であれ、やっぱり主人は主人だ。ご主人さまだ。言葉っていうのは、どうしてなかなか厄介なもので、使っているとその言葉のもつ意味は、けっこう心身にぐいぐい侵食してくるものなのだ。

 

とはいえ、「主人」という言葉にステータスを感じ、あえて使う人もいる。

あとは、本当に「わたしのご主人様💕」みたいに思ってる人もいるのかもしれない。また、よくわかんないけど、若い人でも「いい相手と結婚ができた自分💕」とか「わたしのこの立場、最高💕」みたいに感じている人が、ある種のステータスを顕示するための「主人が~💕」が存在するのも、もちろん、わかる。

  この文章を読みながら思い出したのは、「奥さま」という言葉。専業主婦がステータスで、また働いている女性なんて少なかった時代の人が、違和感なく使っているのはわかる。でも、平成世代はどうなのだろう。

 結婚を公表した際に、たいして広告時代に仲良くなかった知人AからこんなメッセージがSNSに届いた。

 

「今度、奥様会しようね♡」

  なんだか、心底ゾワワっとしたのを覚えてる。今まで、特に繋がりもなかったのに、その高校のコミュニティのなかで、数少ない「結婚」という儀式を通した人間だから、「あなたは仲間になったの」とでも言われたような。

  奥様会自体を否定するつもりはないのだけど、私が思ったのは「いや、たぶん話し合わないよね」という淡白な感想。

  例え、高校時代に仲の良かった友人でさえ、10年くらいの時が流れると、久々の再会に戸惑いすらおぼえる。思い出話と近況報告に話題は徹し、場合によってはあの机を並べてお弁当を食べた日々のようには互いの話にもう、心から共感できない、という恐ろしい事実に愕然とする。過ごした10年の環境の違いがもたらした「時」という壁がの厚さを、身をもって思い知る。

 

 「こっち側」と「あっち側」

  どこの大学に進学したか、就職先、結婚。嫌な話だけど、こうした小さな決断の積み重ねが、気づけば違う惑星というくらい遠くに私たちを連れて行く。

  Aは、たぶん「ようこそこっち側へ」と無意識に「奥さま会」という言葉を発したのかもしれないけれど、私は「奥さま」という言葉は心底嫌い。そして、Aのようにパートナーを「主人」とも思えない。お互いに対等な、コンクリートジャングル東京で戦うチームXでありたいから。主人でも、旦那でもなく、やっぱりパートナーはパートナーで良いのではないか、と常に思う。

 

  そんなことを考えながら、連れていかれた結婚式のフェア。フェア自体は、楽しい。フォアグラを食べたり、写真を撮ってもらったり。各式場によって、趣向が凝らされている。

   面倒くさいのは、やたらと式に干渉したがる親だ。「こんなの頭につけたら、可愛いじゃない」「ドレスはどれにするの?!」無理くり頭に色々のせてくる。時には、試着をさせようと、引っ張りだされる。

   お願いだから、放っておいて欲しい。しまいには、「んー、もうちょっと痩せたらもっと綺麗になるわ!楽しみにしてるわ」と義理の母。互いの結婚式の話をしながら、知らない間に母親同士は結託している。

   「人生で、いまが一番幸せなときだね」

   結婚をする、と伝えた時に多くの親世代(主に50代〜)が言う言葉だ。ちょっとまってくれ、人生ってもう楽しいことないわけ?笑  確かに結婚は、1つのライブイベントではあるけれど、大学入学のときも、こないだの海外旅行も同じように幸せで楽しかった。

 

  「女の子の1番幸せなときは、結婚だ」

  「可愛いドレスが着たいにちがいない」

  「結婚式に、女の子は興味あるもんだ」

 

決めつけられると、息苦しい

  こういう価値観の強要がほんと、ウザい。最初は、「えっ?」と戸惑っていた私も、あまりにも変な固定観念をもって接してくる人が多くて、途中から天邪鬼になった。

  言われれば、言われるほど逆らいたくなってきた。損な性格、と思いながらも日に日に「その日」が憂鬱になる。

   2人だけで、サクッと綺麗な思い出を共有できればそれでいい。一緒に沢山の時間を過ごすのが、お互いの夢や目標をサポートし合えるのがパートナーであって、そこに仰々しいシキタリはいらない。なのに、どうしてこの人たちは、こんなに面倒くさいんだろう。どうして、「式はするもの」「こうあるべきもの」って妄想を押しつけるんだろう。

 

  あ、分かった。きっと、「呪い」にかかっているんだ。

  意識すれば、するほど言葉が重く感じる。言葉に関わる仕事をしているから、なおさら重く感じる。

  この呪いを解く方法はわからない。そして、気づいてしまったからこそ、かかってしまう「呪い」もあるのかもしれない。

 それでも、自分は誰かに「呪い」をかけない、そんな存在でありたいと思う今日この頃でした。